創業70周年。マガジンハウスが創ってきたものとは。

終戦の日本に夢と娯楽を

マガジンハウスは、終戦直後の昭和20年(1945年)10月10日、まさに一面焦土と化した東京・築地の一隅でその産声をあげました。2ヶ月前に終戦を迎えたばかりのその日、創業者・岩堀喜之助は、戦争で生きる力を失くし、目標さえも失くしていた若者たちに、夢を、娯楽を、との思いを込めて、あの焼野原の中、出版社をスタートさせたのです。時に、岩堀35歳の秋でした。
3歳年下の盟友、清水達夫とともに創刊した『平凡』は瞬く間に100万部雑誌に成長しました。戦後の、何もなくただ貧しいだけの時代に、娯楽を家庭に若者たちにと届けたのです。美空ひばり、石原裕次郎、中村錦之助・・・煌めくスターといっしょになってマガジンハウス(創立当時の社名は凡人社、その後平凡出版)は、大きく成長していきました。
それからの弊社は、今日に至るまで、日本の雑誌界をリードし続け、時代を動かし続けています。
皇太子殿下(今上天皇)と美智子様の御成婚をきっかけに、テレビの家庭への普及が飛躍的に伸びた昭和34年、日本で初の芸能週刊誌『週刊平凡』を創刊しました。これもまた、あっという間に100万部雑誌へと成長していきました。

人気雑誌アンアンの創刊

それから5年後、東京オリンピックが開催された昭和39年5月には、日本初の若い男性向け週刊誌『平凡パンチ』を創刊。東京が、いや日本が音を立てて変貌を遂げている時でした。政治、ヌード、ファッション、車、お酒、麻雀、海外からの情報、・・・若者たちのあらゆる動向を捕らえ、時代のカルチャーを牽引しました。そしてこの雑誌もまた、極めて短い期間に100万部に到達したのです。
大阪万博が開催された昭和45年には、今も、若い女性の生き方をリードし続けている『アンアン』を創刊。それはまさに衝撃のデビューでした。『アンアン』というそれまでに例を見ないタイトル、今ではごく普通になったあの大判サイズ、内容、革新的なデザイン・・・、すべてが衝撃的でした。そして、圧倒的な驚きを持って若い女性たちの支持を獲得したのです。

時代を先導する雑誌の相次ぐ発刊

その後も『クロワッサン』、『ポパイ』、『ブルータス』、『カーサブルータス』、『ターザン』、『ハナコ』、『クウネル』、『&プレミアム』と創刊を続け、いずれの雑誌もが時代のキーマガジンとなり、その世代のオピニオンリーダーとなっています。
また時代の変換期を語る時も、弊社の雑誌は絶対に欠かすことのできない存在となっています。
さらに昭和63年には、それまでの雑誌一筋の出版社から、単行本の世界にも進出し、『世界がもし100人の村だったら』はミリオンセラーとなり、『肩ごしの恋人』(唯川 恵著)では直木賞を受賞しました。現在では、総合出版社としての名を不動のものにしています。

これからのマガジンハウス

マガジンハウスの雑誌・書籍は、創業以来、21世紀の今日まで、日本を動かし続けてきました。若者たちの折々の行動に、大きな影響を与え続けて来たのです。
これからも、日本の文化をリードし、読者の皆さんのライフスタイルの参考書になるような出版物をお届けします。またさらに、今後はデジタルの分野はもちろん、メディアミックス、キャラクター関連など、これまでの70年で培ってきた編集力と、コンテンツを活かした新しい出版ビジネスに挑戦してゆきます。
そして全役員、全社員が、熱い気持ちで「文化の担い手であり続けること」をお約束します。

代表取締役社長 石崎孟